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葛野お茶便り

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カテキン先生のお茶講座 第1回 お茶の歴史

2019.02.13 お茶の基礎知識・雑学深蒸し茶・掛川茶カテキン先生 お茶講座


現在、私たちが日常的に飲んでいるお茶。その起源はどのようになっているのでしょうか。
お茶はどこから生まれ、いつ頃から飲まれようになったのでしょうか。
知っていそうで案外知らない、お茶の歴史ご紹介します。
今回は知れば知るほど奥深い日本茶のルーツのお話です…。

8世紀頃 奈良・平安時代

遣唐使や行基、空海などの留学僧が唐からお茶を持ち帰る

当時のお茶は茶葉を固めた「団茶」というもので、削って粉にしたものを煎じて飲んでいたようです。天皇や貴族などごく限られた人々の間で薬として飲まれていました。

13世紀 鎌倉時代

お茶の種を持って来たのは「栄西禅師」 全国に広めたのは「明恵上人」

栄西禅師

栄西禅師は留学先の中国(宋)で抹茶を学び、お茶の種を長崎県の平戸に植えました。後に「喫茶養生記」を記し、お茶の効能を全国に広めました。
一方、明恵上人は禅師から受け取った種子を京都に植え、現在のお茶所(三重、埼玉、静岡など)に広めていったといわれています。
※今でも明恵上人の茶畑は京都の栂尾山高山寺に残っています。

静岡茶の始まりは聖一国師

一説には、栄西禅師に遅れること40年、聖一国師が中国(宋)より持ち帰ったお茶の実を、安倍川の上流に位置する駿河国安倍郡三和村足窪(現・足久保)に種を蒔いたことから始まったといわれています。

15世紀 室町時代

足利義政により茶の湯が生まれる

室町幕府八代将軍・足利義政は茶の湯や花道などを好み、村田珠光から茶の湯(抹茶)を学び「わび茶」を生み出しました。

16世紀 安土・桃山時代

茶人・千利休が茶道を確立

茶人 千利休 茶道 茶の湯

織田信長と豊臣秀吉は共に利休から茶の湯を学びました。天下人となった秀吉は当時、大名や町人のものだった茶の湯を天皇や公家の間に広めていきました。

豊臣秀吉

16世紀後期〜19世紀 江戸時代

急須で飲む「釜いり茶」が伝わる

17世紀、中国(明)から来日した隠元禅師らが、その頃主流だった「釜炒り茶」を急須で飲む「淹茶だしちゃ」を伝えたといわれています。
※九州地方には現在も「釜炒り茶」が残っていることから、一説には九州より伝わったのではともいわれています。

現在の「蒸し」の製茶方法が考案される

形式にこだわらず自由に楽しめる「釜炒り茶」は急速に広まり、庶民にも身近のものとなりました。この頃、京都の茶業家・永谷宗円が、蒸して手揉みで製茶する現在の日本茶の製法を考案しました。
※煎茶の普及と共に、より良い品質のお茶が求められるようになり、様々な改良が加えられ、緑茶の最高峰「玉露」が誕生しました。

徳川家康とお茶壺屋敷

徳川家康

引退後、家康は駿河(現・静岡県静岡市)に移り住み、標高1,000mの大日峠に「お茶壷屋敷」なるものを建て、お茶を保管させました。現在でも、茶壷の預かり証が残されており、秋になると当時を偲んで、久能山東照宮までお茶を運ぶ「お茶壷道中」が、毎年賑やかに行われています。興味のある方は、秋の行楽にお出かけになってはいかがですか。

駿府本山お茶壺道中行列の様子。茶壺に入ったお茶が久能山東照宮まで運ばれる。

駿府本山お茶壺道中行列の様子。茶壺に入ったお茶が久能山東照宮まで運ばれる。

19世紀後期〜現在 明治時代〜平成

旧徳川家臣達が牧之原台地を開墾

明治維新後、徳川慶喜と共に駿府に移住した幕臣達は、新時代の貿易品として、生糸と並び注目を集めていた茶の栽培のため、総勢240名で大井川下流の広大な牧之原台地を開墾しました。
その後、更に開拓が進み、今では約5,000ヘクタールにも及ぶ日本一の大茶園を形づくるまでになりました。

静岡で開発! 日本の代表品種「やぶきた」種

明治末期に杉山彦三郎氏が、茶の樹の品種改良の中で薮の北側にあった樹が収穫量・耐寒性・品質ともに優秀であることを発見し、薮の北→やぶきたと名付けました。

杉山彦三郎氏が見つけた日本茶を代表する品種「やぶきた」の原樹

日本茶を代表する品種「やぶきた」の原樹

日本を代表する健康飲料

現在ではお茶の効能が再認識されつつあります。上手にお茶を飲んで健康な毎日を過ごしましょう。

 

※この記事は、ご注文の商品に同封している『カテキン先生のお茶講座』の、第1回の内容を元に作成しました。

 

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