カテキン先生のお茶講座 第20回 茶のことばと茶の精神
この記事の目次

茶の湯から生まれた為になる言葉

茶の湯は、室町時代から桃山時代にかけて公家や武家の間で親しまれ始めました。
今回は、そこから生まれた言葉とその意味について探ってみました。
聞き覚えのある言葉や初めて耳にする言葉など、現代の私たちが忘れかけているであろう、
古き時代の良き日本人としての精神・心構えがたくさん汲み込まれているようです。
その中より、いくつかをご紹介します。
「茶の湯」とは

「茶の湯」という言葉に馴染みのない方もいるかと思いますが、一般的には「茶道」と同様の意味を持ちます。
主には、茶会に客人を招き抹茶などの茶を点て、振る舞う行為やその作法などのことです。
単にお茶を飲んで楽しむだけではなく、茶器などの茶道具、花器・掛け軸といった美術品、茶室やそこから望む庭に至るまで、幅広い分野にまたがった総合芸術といわれます。
礼節や思想を重んじ、おもてなしの心が詰まった日本を代表する芸道です。
※厳密には「茶の湯」「茶道」という言葉が持つ意味合いや解釈は、流派などによって異なります。
その一「和敬清寂」

茶会の掛け軸などによく使われるこの言葉は、茶の湯を学び行ううえで心がけるべき、
四つの基本的な精神を表す言葉として伝えられてきました。
「和」
茶席に集った人々、物、場の調和を求めること。
「敬」
自らは慎んで、人やものなど、あらゆるものに敬意を払うこと。
「清」
茶室、茶庭、茶道具などにおいて清々しく、清潔にして簡素な佇まいを心がけること。
また、気持ちの上でも清らかであること。
「寂」
どのような場合でも、静かで、乱されることのない心持ちであること。
その二「茶禅一味」
「茶」と「禅」との関係

そもそもお茶は、禅宗僧侶たちが、中国から日本に持ち込んだものです。
そのために、茶と禅は深い関係にあり、「茶の湯」の道義には、
人と人との交わりや師弟関係を重視する禅の教えが受け継がれています。
村田珠光は、「侘び茶」を広め、小さな四畳半の茶室の中では身分など関係なく、
そこにあるのは亭主のもてなしの心のみ、その心こそ仏とし、
「仏は人の心の中にある」
と茶禅一味(茶も禅も同じ)の精神を悟ったといいます。
その三「侘び寂び」
「侘び・寂び」の立役者に利休あり

日本の美を表す言葉の代表でもある、「侘び」と「寂び」
元来は、「侘しい」や「寂しい」など、物事の不完全な様子などマイナスのイメージを受ける言葉ですが、
これを、「美しい」として、茶の湯の美意識に取り入れたのが、今日まで日本の美として大切にされてきました。
『出しゃばらず、おごらず、静かに質素に、時の流れに身を委ね、心の余裕を楽しむ。』
この精神こそ「侘び」「寂び」の心なのかもしれません。
利休の一言

ある日利休は、自分の弟子に、お客様が来るので、庭を掃除するように命じました。
弟子は言われた通り綺麗に掃き始めました。
すると利休はその庭の木を揺すって、きれいになった庭に葉を散らしました。
これが「侘び」です。
完全を経た上での余裕(侘び)でなければならないようです。
その四「一期一会」
「一期」は「一生涯」を示す言葉

一期一会、つまり、一生涯に一度の会という意味になり、
「同じ催しは二度とないことを覚悟し、万事に注意を払い、最善を尽くしなさい。そうすることで、充実した茶事ができる。」
というところから一期一会の意味はきています。
一期一会、大切にしたいものですね。
現代まで通じる茶の精神

過去から現在、未来へと受け継がれていく物は、必ずしも言葉や物や形あるものだけではありません。
そこにある精神や想い、これを受け継いでこそ、私たちは日本人としての美を感じることができるのではないでしょうか。
たまには「茶の湯」の心を意識して生活してみるのもいいですね。
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